2018年06月14日

6月14日 木曜日

 西ドイツ時代 学校が350円の食券をくれた レストランも一般家庭もこの食券を当て込んだメニューを用意していた ある一般家庭で獣の匂いとしょんべんの臭いが混ざった強烈な料理が出た 日本人でも平気で食う人がいたがわしは食えなかった 帰国して沖縄にハマってあのときの料理の正体がわかった 山羊汁である 沖縄ではヨモギで匂いを消すそうだが未だに食うことが出来ないでいる 
 西ドイツ時代 下宿は日本人を希望したばあさんの一人暮らしんちでめしが出るわけでもなく風呂に入れてくれるでもなく使えるのはトイレのみ 夜は早く寝ろと下から天井をゴンゴン叩く お茶は出してくれてピアノも弾かせてくれテレビも見せてくれた 町に公衆シャワーがあるということを知ったのはかなり後で1回だけ行ったがその程度のことなら温水プールで事は足りた たまにデュッセルドルフに遊びにゆくくらいで金がないから何も出来なかった 温水プールでホモに見初められ押しかけてきて口説かれたのには閉口した フランクフルトでは飾り窓のねーちゃんに頻りに誘われたが18で童貞(女性の場合にも使う)でひたすら怖かった 若すぎる海外はよくないと思った めしも学校がくれる350円の食券ではロクなものが食えなかった 学校の地下室で毎晩ピアノを触ってたら突然弾けるようになったことと冗談ばかり言うので教室の人気者になり外国の友達が出来たこととアウトバーンを走ったこと以外は本当にこれといったことは何もなかった 大学でドイツ語の教師の間違いを指摘出来るようになったぐらいが取り柄かなあ
 うまく書けたほう
 22730539_1638598362857995_3353937702494309881_n.jpg
 おばはんは小学校六年生のときわしに一目惚れをした 車の中で「おかちゃんの血なんで取るのん?」と言ったときの言い方と表情 ヨレヨレになっためいちまといい誰かのことを考えるとき切なさを感じたらそれは愛以外の何物でもない 愛とは切なさである
 中学生のとき換気扇から子雀が飛び込んで来た 住み込みの看護婦さんのうち1名がチュンチュクと名付けて可愛がった よく懐いてふたりは親子のようになった 自分たちの部屋の窓を開けて飛ばしても必ず戻って来た 糞を苦にしていた別の1名が彼女がいない隙に窓を開けて放した そしてすぐに窓を閉めた チュンチュクは戻って来たが入ることが出来ない 暫く窓の外で羽ばたいていたが様子が違うのでどこかに飛んで行った 帰って来た彼女はびっくりして屋上に駆け上がりチュンチュク チュンチュクと必死で呼んだ するとチュンチュクが飛んで来て肩に止まった 部屋に連れて帰ることが出来ないのでふたりは屋上で逢瀬を重ねたがある日いくら呼んでもチュンチュクは来なかった それが永久の別れになった
 きのうから西瓜を切ろうと2度ばかり西瓜まで歩いて行ったら足音でそれとわかるらしくおばはんに「ダメッ!!」と言われただ
 梅節先生に鱧すきうどん手配しただ 家族構成とかわからんので段取りはすべて美々卯に任せた 持ち帰りなら登録商標のうどんすきもOKだがそうでないと夏場は鱧すきうどんしかないのよね ま 辛抱してちょ 専用鍋はないと話にならない
 オヤジんちの墓のある紀州は龍神温泉の近くまでオヤジと走っていて途中の一軒しかない食堂に入った オヤジが親子丼を注文しそうになったのでこんなところでそんなもんは頼むな何が出て来るか知れたものではないとふたりで玉子丼を注文したらめしの上に目玉焼きが2個載ったのが出て来た もちろんタレなんかかかっていなかった 玉子丼を見たことがないのに違いないと思った
 今はどうだか知らないがアウトバーンには厳然たる序列が存在した 日本みたくいつまでも追い越し車線を走ってる馬鹿は当然いない ワーゲンだと素直に抜かせてもらえなかった でもって後にオペルがビタッと付く BMWとメルセデスは敵愾心を燃やしまくっていてどちらも譲らない 後年これが原因で両社は最高速度250キロの協定を結びそれ以上出ない車を造っていた時期があった 王者はポルシェでみんな道を譲った
 紀伊新宮が好きで大和五条からよく抜けた野ゆき山ゆき海辺ゆきの佐藤春夫記念館と浮島の森がお目当てで帰りは白浜の銀ちろに寄るのを常としていた 新宮から電話をすると銀ちろのご主人はいつも小さな座敷を用意して待っていてくれた 最初薬屋のにーちゃんと行ったときはそんなに愛想はよくなかったが猫持とわかると何でもしてくれて帰りには本店のお土産を持たせてくれたが残念なことにお亡くなりになられた わしの本が出るたびに20冊ずつ買ってくだすった近江長浜の鳥新のご主人もお亡くなりになられたが息子さんも先代と変わらぬもてなしをしてくれる ここは鴨のシーズンは避けて夏にゆくのがコツで座敷が貸し切りになる こういう馴染みの店も少なくなったなあ
 若い頃のおばはんはよく食った 最初にめしを食いに行ったのはおばはんの父親の見舞いの帰りの171号線沿いのそば屋 これ食べていい?とわしが注文したてんぷらそばのてんぷらをぜんぶ食ってしまった 初めてのデートは新宮で銀ちろでいっぱい注文してわしが蟹酢の身をおばはんのためにせせっている間に机の上の物をすべて平らげていた うまいものを食わせてもらうためにはうまいものを食わせてやらねばならないと日本全国ポルポルくんで食べ歩いた 話変わるがあさって阪急に行こかとおばはんが言うからほな楽々うどんに行くれしゅかと言ったらダメれしゅと言われただ(ノД`)
 南国土佐のはりまや橋の得月楼には3度ばかり行った 宮尾登美子先生がご自身の「陽暉楼」のモデルですよと教えてくれた 夏に行ったとき皿鉢料理を頼んだがあれはふたりで食うものではないということを知った 当時の高知道は対面通行のトンネルだらけで緊張した 市内に至る道を走っていると行き先に「ごめん」と朱書した市電が軌道から大きくはみ出て走ってくるからぶつかってもごめんの意だなとそのときは了解した
posted by めいちま at 11:09| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: