八坂神社は祇園祭の胴元とて祇園の神さまとて舞妓はんや芸妓はみんなお参りに行くとて旦那衆も今は大変とて南禅寺瓢亭の朝粥に彼女たちを10人ぐらい連れてゆくのがほんまもんの旦那とてわしも舞妓はんとごはん食べしたいあるあるとて
ここ懐かしいあるある 当時の彼女おばはんと同じ知性派Dに「フィッチュランド行くれしか」と連れて行って売店であれ買ってはダメこれ買ってはダメと言われておったとて(ノД`)
色々大変な人生やったとて感覚は鈍麻しておるとてがんになってこの10年は振り回されたとて自分らより先に死ぬなと言っていたおかんとオヤジも見送りオペ出来ないと言われ終活もしたとて多くの人と神仏の助けでオペ出来ておばはんがいてチビたちゅがいるとてほのぼのと幸せとてこんなに幸せでいいのかと思うとて
シアがプラスチックの丸いボールを咥えておとちまのところに来ましたのにゃ なかなか離さないとてよく見たら外れなくなってましたのにゃ おばはん「おまえアホやろ」シア「・・・・」
近江木之本宿より北国街道を北上するのは夏はあかんとて道が蛙で一杯とてヒキガエル じゃなかった ヒキカエスしかないとて 今庄インターからは泉鏡花の小説で名高い夜叉が池が近いとて片道2時間の山登りはキツいとて大阪で唯一の村である千早赤阪村の千早赤阪城址の坂もキツいとて売店の菊水の手拭いまた買いたいあるある
うちなに猫撫で声で話しかけながらナデナデしていたら目がうっとりして来たとておとちまの部屋に戻ったら付いて来たとてチューしたらためいき吐いておったとて(゚Д゚)
「かーたん これからうちなのことは妻氏と呼ぶことにしたとて」「勝手にせえや面倒くっさいし」(ノД`)
歌舞伎は名前が変わるとてよくわからないとて明治36年には看板役者の団十郎?と菊五郎?が相次いで亡くなったとて大変な年やったとて歌舞伎役者の立居振舞は俳優の及ぶところではないとて柳生宗矩役の萬屋錦之助 「雲霧仁左衛門」に出てた松たか子のお父さんとそのお兄さん?は渋すぎるとて吉右衛門さんも残念とて
うちの妻氏たちゅとて 連れて行って寝るとて 寝る前に小一時間は遊ばないと寝てくれないとて