2018年12月04日

12月4日 火曜日

 連合艦隊がバルチック艦隊を殲滅することが出来たのは日英同盟によるところも大きい 英国はバルチック艦隊が寄港して英気を養おうとすると時にはこれを追い払い各国に寄港させたら英国が宣戦布告すると脅して回った 日本海に到着したバルチック艦隊はこれがために疲弊していて連合艦隊の正確無比な砲撃で士気は完璧に失われた 日英同盟を嫌ったアメリカのために同盟は破棄されたが続けていればドイツが蒋介石を唆してやらせた上海事変(宣戦布告をすればアメリカが石油の禁輸措置を取るのは必至だったので事変と言うよりなかった)も英国が直ちに蒋介石とドイツに宣戦布告しただろうしアメリカも手出し出来なかった 日本はその義理を第一次世界大戦で返し英国の軍艦を護衛し救助活動をしたことでマニラかどこかに顕彰碑が建てられている 日英同盟は死守するべきであった 
 それが時の流れだというのなら仕方ないがスーパーやコンビニが春風駘蕩たる昭和の市場を駆逐した 回転寿司もわしの大好きな寿司屋を閉店させた 氷で冷やす冷蔵庫は夏場よく食中毒を起こさせそれがためにみんな1日に2回は市場に行っていた 間もなく元号が変わるが昭和も遠くなった
 誰かさんの役に立つと思うから書く わしは親に離婚させられてから淋しくて親から逃げるために短歌で世に出ることを夢見て実行した 大変な苦労をしたがかいつまんで言うとある日天から言葉が降って来た わしはそれをノートに書き写し形を整えて本にした そしたら認められて世に出た デートしてくれる女性も現れるようになった ダメ男だったわしが世に出た瞬間に散々わしを助けてくれた義父となる人は自分の役割を終えたかの如くがんで死んだ わしはその人が残した娘と結婚して恩返ししようと思った 結果親に反対されて喧嘩して追い出されて奈良に行って開業したが半年で破産した 親に頭を下げて帰ったときにはわしが眼科をやっていた2階はカラオケルームになっていた そこからドサ回りが始まった 高校のときに家庭教師をしてくれていたT先生や眼科の器械屋の社長やK大の教授のお情けで働かせてもらった 眼科の患者が来るから帰って来いと親が言うのでオヤジが働いている1階の4畳半ばかりの片隅で再開したときは患者さんが少しは来たが嫁は女中だと考えていて毎日めしを作りに来させろというおかんと衝突(最初の結婚のときもこれで衝突して守り切れなかった)してふたたび追い出された 物書きとして仕事もしていたが家庭がこんな調子では影響を受けざるを得ず徐々にダメになって行った 3度目に親元に舞い戻ったときには来てくれる患者さんはいなくなった 鬱になり大好きだったポルポルくんも維持することが出来なくなり泣く泣く手放した そんなときがんになっていることがわかり手術したが医者にダメだと言われ医者を辞めた 1pだけ取り残したところがわしを悩ませやがて2pになり粒子線治療を受けた これでだいじょうぶだろうと安心していたが2pの部分はなくなることもなく後腹膜の左右に再発した 右は手術してくれたが左はどうすることも出来ないと言われている むにゃむにゃなんか10年ほどなく白状すると別れた女房が無性に恋しいときがある だからどうした? わしは死んだのか? 不幸なのか? どっこいわしは毎日ここでみんなに会っておばはんもいてめいちまもいる これを不幸と言ったらこの世に幸せなんかどこにもない 今を幸せと思い感じないかぎり幸せなんかやって来ないのだよ おまえさんはがんにもなっていないしわしより若くむにゃむにゃだってある 難しいのはわかる 苦しいときはわしと比較してみればいい 自分は幸せだとわかるだろう 
 某百貨店の担当のにーちゃんが大腸がんの手術して退院したと電話をくれましたのにゃ 昼は牛丼ばっかし食っていると言うのでそれは大腸がんに直結していると教えましたのにゃ 取りあえずは手術が成功してよかったよかった
 第一歌集「ろくでなし」の原稿を持って朝日カルチャーセンターに行った帰りアラスカで高いビーフカレーを食った 朝日カルチャーセンターから自費出版すれば朝日新聞が取り上げてくれるだろうと考えたのは甘かった 多田道太郎先生しか取り上げてくれなかった 驚いたのはゲラが届いたときで読み返してこんな稚拙なうたを世に出したら笑いものになると愕然とした 駄菓子菓子 もう後戻りは出来ない フツーの人はゲラが届いたら誤字脱字を訂正するだけだろうがわしは一から作り直した 毎日寝る間を惜しんで推敲し原形をとどめたうたは10首もなかった 天から言葉が降って来たのはこのときである 4回届いたゲラは赤インクで真っ赤っかになった 一字訂正するのにも金がかかるので「ろくでなし」は180万ほどの出費になった あちこちに送る送料を入れると200万ぐらいだろうか このときはまだ歌壇を意識していたのでテストでよし100点だという感覚はなかった 歌壇からはボロクソに言われたが司馬遼太郎先生や阿川弘之先生 田辺聖子先生などに褒められたので今度は文壇を意識して「雨にぬれても」を自費出版したら先師山本夏彦が週刊新潮に大々的に取り上げてくれて世に出ることが出来たと書けば簡単に聞こえるだろうが文藝春秋社から歌集が出たのはわし以外にまだ聞いたことがない さっきも書いたようにテストでよし100点だという感覚がなければ自費出版しても無駄である 100点だと思ったが60点しかなかったというのではダメなのである
 何名か見所のある弟子がいて彼女たちが自費出版してくれることを期待していたがわし自身大変だったのとおかんが間に入って公私混同して音信不通になったりして文化センターの講師を辞めざるを得なくなったが辞めたときに泣いていた弟子もいたそうな 多田道太郎先生に言われたように雑誌を創刊していればよかったがそんな余裕はなかった 残念なことをしましたにゃ 間違っていれば謝るがそうすれば道太郎先生やアーサー・ビナード 辻征夫 井川博年 小沢信男 谷川俊太郎さんなど余白句会の面々が参加してくれることになっていましたのにゃ
 松本しゃんが安いからと言って恥ずかしがってアップしたがらないもとや南店 京橋 とんかつ300円也
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 ゴルフRくんにインタースター社のPPEとPPT(これはスバルくんにも取り付けていてアクセルレスポンスが全然違った)を取り付けようかと考えていて冷蔵庫にアイスコーヒーを入れに行ったら「アンタ なんか悪いこと考えてるやろ」「な なにも考えていないのれっし」「こらっ 嘘吐いてもあかんよ おかちゃんにはわかるんやで」と言われましたのにゃ( ̄0 ̄)
 インタースター社のPPEとPPT フォルクスワーゲンにおばはんに怒られたからやめるとメールしましたのにゃ(ノД`)
posted by めいちま at 00:38| Comment(0) | 日記